ベア「最近姐さんずっと2階にこもってる」
ポニ「大丈夫かな」
椅子さん…
ベア「椅子を愛でることで現実逃避!!」
ポニ「いや通常運転とも言えるのか?!」
嫁氏は椅子さんを愛でていれば
元気になれるんだよ。
ああ影さえ綺麗…
それに前回の記事では読者さんが
優しく気遣ってくださった。
みなさんありがとうございます。
ジーノを思い出すこともあるけど
ブログで交流することで元気をもらっています。
何かしてないと落ち着かないから
気晴らしに遠出もするしね。
前にアクタスさんの「101脚の椅子」
に行ったけど
別の日にアクタスさんの
講演会にも行ったんだ。
マルニ木工の社長さんに
日本のものづくりについて
話を聞いてきたよ!
ポニ「やっぱり椅子かい!」
マルニ木工さんは1928年
昭和曲木工業として広島で創業。
90年以上続く老舗の家具メーカー。
HIROSHIMA
サナアチェア(通称ラビットチェア)
T&O T1チェア
木の美しさを生かした名作を
次々生み出している。
深澤直人さんのコラボでも有名だ。
最近だと新Apple本社の食堂に
1000脚以上の椅子を納品し話題に
そんなマルニさんの今人気の椅子
を見るとモダンでシンプルな印象。
でも10年以上前に作っていた家具は
全く違う形。
今でこそミラノサローネに出店し
世界的に有名となったけど
実は10年前まで経営危機に陥っていた。
社長さんの人間力
チャレンジ精神
ものづくりと職人への敬意
が会社を変えていったのだ。
社長の山中さんは会場に来た時
挨拶後まずこう言われた。
「私すごくシャイで…
だから今日はスクリーンを
見てくださいね」
(アクタス)
とっても物腰が低く
優しい雰囲気の方。
↓お顔からもそれがわかる
前職は銀行員。
その後親族が経営されていた
マルニ木工に入社したそう。
(アクタス)
でも彼が入社した時
会社は大変な状況。
「東洋一の家具メーカー」と言われ
300億円の売り上げを突破し
右肩上がりに伸びていた業績は
バブル期に一気に集落。
(アクタス)
「とにかく会社を守らなければ」
とリストラや店舗・工場閉鎖を進めたとか。
「リストラ」というときのお顔が
物悲しそうだった。
銀行さんから「どうやって再建するか?」
聞かれた時当時は
「利益第一主義!」
と答えるほどとにかく必死だったそうだ。
(アクタス)
お祖父様の代からの会社だから
それはそうだろう。
でも転機が訪れる。
それは職人との対話であり
デザイナー深澤直人さんとの出会いだ。
(アクタス)
このままではまずい!
そう考えた社長さんは
こう考える。
「デザインを変えよう」
(アクタス)
確かに製品のレベルは高い。
戦時中の軍需品の生産により技術が向上
(この辺りイームズさんと似ている)。
その技術をさらに磨き
90年以上続けてきた
伝統がある。
とはいえ家具はデザインが要。
いつまでもヴェルサイユ調の
クラシックな家具では売れない。
そう考え彼がしたのは
職人との対話。
現場の声を聞き
木の話やものづくりの話を聞く。
そこで日本の技術の高さや
美意識を世界に発信しようと考えた。
そして生まれたのがネクストマルニ。
著名なデザイナーとコラボして
新しい形の「マルニ」をスタートした。
ただラビットチェアを除いて
あまり売れなかったそう。
それに職人から反発もあった。
(アクタス)
これまでと違って
デザインはデザイナー
職人は言われるまま作る。
それはせっかく技術のある職人も
やりがいがないと感じたらしい。
そこで世界的に有名な
デザイナー深澤さんを本で知る。
それまでデザインは感性だと思っていたけど
論理的なものだということを知ったそう。
深澤さんのデザインの考えに惚れた
社長さんはこうお願いしたそうだ。
「お金はありません!
でもあなたのデザインが好きで
一緒にやりたいんです!」
(MS家)
深澤さんはその熱意に押されて
こういった。
「どうせなら世界の定番を
作りましょう」
(MS家)
そして「お金は売れた時でいいです」
とタッグを組むことになる。
そこでできたのがHIROSHIMA
(アクタス)
広島出身の社長さんは最初
この名前が嫌だったそう。
戦争の辛さを連想させるからと。
でも深澤さんは
「歴史に残る椅子は
地名がついている。
バルセロナチェアのように」
と譲らなかった。
↓バルセロナチェアについて
職人たちも深澤さんの細い注文と
複雑な削り出しに最初は困惑。
この椅子ってシンプルに見えるけど
実はすごい技術が隠れている。
(アクタス)
まず左右の木目が揃っている。
(アクタス)
木は切ってからでないと木目が
どんなのかわからない。
それをビシッと揃えてくるのは
木を熟知している職人ならではだ。
それから木のアール部分。
(アクタス)
最初直径3mmが限界だったらしいが
作るうちに職人も慣れ
今は1.5mmが普通にできるそうだ。
(アクタス)
それは社長さんが職人たちを
「これはチャレンジだ!
世界へ行こう!」
と対話しながら鼓舞してきたからだ。
(アクタス)
そこからマルニの快進撃が始まる。
まず世界の家具見本市
ミラノサローネへ出店。
↓ミラノサローネについて
最初は小さなブースだったけど
年を重ねるごとに大きくなる。
それを皮切りにCASAなどいわゆる
家具のオサレ雑誌が取り上げ始める。
(MS家)
さらに
・キャセイパシフィックのラウンジ
・カリフォルニアのブルーボトルコーヒー
・アマゾン本社
・ワーゲン本社
・Yahoo! JAPAN本社
世界の大企業の本社や店舗が
マルニの椅子を使い始める。
そして昨年Appleの本社での椅子採用。
(MS家)
1000脚以上の納品に
8ヶ月かかったそうだ。
今ではこの椅子が名前も含めて
大好きだとか。
どん底から這い上がり世界に飛び出した
ものづくり会社マルニ木工。
社長さんは今後の展望を話してくれた。
(アクタス)
まずモットーである「工業の工芸化」を進め
100年経っても世界の定番になること。
50年代はプラスチック分野はイームズ
(MS家イームズ)
60年代木造分野はYチェアなどのウェグナー
(MS家ウェグナー )
それぞれの材には時代ごとのアイコンがあり
今も愛されるものばかり。
じゃあ2000年代は?
確かに有名な椅子や家具はあるけど
「世界のみんなが知っている」
という定番はない。
(アクタス)
マルニはそうなりたいと。
それに伴い工場を
「おっちゃんが輝く場所にしたい」
と話してくれた。
(アクタス)
世界の木工職人に憧れる若者が
カールハンセンやPPモブラーのように
マルニを目指してくれたらと。
ちなみにPPモブラーは工場見学できたけど
カールハンセンは断られたとか。
(アクタス別店舗)
それだけマルニが世界に
知られていると思い
逆に光栄に感じたそうだ。
質問タイムを設けてくださったので
一番聞きたいことを聞いてみた。
「ご自身にとって
椅子ってなんですか?」
(アクタス)
社長さんは
「それはまた深い質問ですね笑」
とちょっと困惑…
でもこう答えてくれた
「そうですね…
大好きなものでしょうか」
(アクタス)
マルニさんの現在の家具と同じく
シンプルでいい答え。
椅子好きとして何より
嬉しい答えだ。
ちなみに一番好きな椅子は
HIROSHIMAだそう。
(アクタス)
やっぱりね(ニヤリ)
帰る時来場者に挨拶され
会話をされていた山中社長。
その人間力と熱い思いで
日本のものづくりを
元気にしてほしい。
(アクタス)
そしていつかマルニの椅子を
MS家にお迎えしよう。