東日本大震災から今日で7年。
まずは亡くなられた方のご冥福を
お祈りします。
そして今現在も辛い思いをされている方が
1日でも早く日常に戻れるよう願います。
もう7年も経ちますが、まだまだ仮設で
暮らされている方もいらっしゃいます。
7年前、次々映し出される映像に衝撃を覚えました。
特に人が流されていくのを見て
背筋が凍りました。
というのも、8歳の時
実家の鹿児島で水害に
あったからです。
もちろん、3.11とは全く別物ですが、
あの光景を見て水の恐怖を思い出しました。
嫁氏が家の性能にこだわり、性能について
オタクな記事を書いているのはこの経験が
あったからかもしれません。
毎年この日になるとあの映像と水の恐怖を思い出します。
怖いですが今日はあのときのことを振り返ってみます。
1993年8月6日。
嫁は鹿児島県北部のばあちゃんちから
南に下った鹿児島市内へ車で帰る途中でした。
父、母と共に車で走っていたのは国道3号線。
この3号線に沿って甲突川という大きな川が流れています。
春には川沿いに桜が咲き
遊歩道が整備されているので
散歩を楽しみながら
いつかの間にか街中につくことも。
その日は朝からものすごい雨でした。
ばあちゃんちを出発し、
後部座席で「すごい量の雨だなー」って
思いながらぼーっとしていたのを覚えています。
ただ、その日は何かが変でした。
いつもならあと30分ぐらいで家につきそうなのに
なかなか車が進みません。
変だなと思って、ふと川を見ると
甲突川が溢れていました…
父は「ちょっとおかしいな」と気づいたようですが
自宅のアパートはもっと南。
しかも車はものすごい渋滞で進みません。
それでも少しでもと車を進めました。
するとあることに気づきました。
鹿児島市内に向かって進めば進むほど
道路の水かさが増えていくのです。
気づいた時には車内にガンガン
水が入ってきました。
水はふくらはぎまで上がってきます。
嫁は滅多に泣かない子でした。
唯一泣いたのは初めて見た『E.T.』。
造形が怖かったので一人でこっそり泣きました…
そんな嫁でもさすがに恐ろしくなり
「もうダメだ!」と泣く。
母は落ち着かせようと「大丈夫よ」という。
父の顔は見えませんでしたが
必死なのが伝わってきます。
もう終わりかと覚悟した時、
たまたま左から坂の上の団地へと
繋がる道を発見。
車で駆け上がり、
なんとか助かったのです。
今にも止まりそうな車でやっと
自宅のアパートにつき、
ホッとしたのもつかの間
あることを思い出しました。
父は警官でした。
すぐに出動です。
こんなとき家族全員で
いられたらと願いました…
父の帰りを待つ間、さっきの恐怖が忘れられず
父が再びあの恐ろしい場所にいくかと思うと
生きた心地がしませんでした。
同時に我が家は助かったけれど
あの場に残った人のことを考えると
しばらくあまり眠れませんでした。
数日して父が帰ってきた時
いろんな話を聞きました。
おばあさんをおんぶして何とか救えたこと。
間に合わず、亡くなった人もいたということ。
防災科学技術研究所ライブラリー(NIED-Library):トップページ - 防災科学技術研究所
あとでこの水害の報告を読みました。
雨量は1日で鹿児島市259mm、川内市は376mm。
死者48名、行方不明者1名、重軽傷者は52名。
市民4,000人余りが58か所に設置された避難所へ避難。
家屋の全壊は284戸、半壊は183戸
11,000棟余りが浸水。
一番海抜が低かった草牟田という地域では
2m近く冠水したそうです。
たった1日の雨でこうなったのです。
防災科学技術研究所ライブラリー(NIED-Library):トップページ - 防災科学技術研究所
水が引いてから3号線を訪れてみました。
自動車がたくさん行き交い、
店が立ち並んで賑わっていた3号線は
泥と壊れた家屋でぐちゃぐちゃでした…
それからしばらくは水に近づけませんでした。
嫁氏が体験したことは3.11とは全く違いますし、
こうして家族も無事だったので
震災で苦しまれた方々のお気持ちは
想像でしか慮ることができません。
でも自然の自然の脅威を
思い知りました。
時に美しくて優しい自然。でも時に人間には恐ろしい。
どんなに立派な家でも
どんなに元気な人でも
自然の脅威を前にすると
跡形もなくなってしまうことがあると。
もちろん、震災や水害にあっても生き残った家もあります。
ただ、人間のつくったものは絶対的ではないんだ
ということを思い知りました。
だからでしょうか。
そのあと実家では戸建を建築することになりますが
父も母も異常に性能を重視していました。
MS家はデザインも重視しますが、
家の見えない部分の性能も
こだわっています。
(予算の上限があるのでできる範囲で)
それは快適に暮らすためでもあり、
お気に入りの家を長持ちさせるためでもあり
家族を守るためでもあります。
もちろん、自然の容赦ない力を目の当たりにして
いくらこだわっても壊れることがあると
自覚しています。
だた、それでも少しでも
家族や家具や家が
長生きできたらと思います。
だから納得するまで調べて
家づくりしています。
そしてご縁があってこちらに来ていただいた
みなさんには「見えない部分」も大事だと
知っていただきたくてこうして書いています。
人は何か自分の身に起こってからじゃないと対策が
できないこともあります。
でも、この小さくてマニアックで
椅子狂いな嫁氏のブログとの出会いで
「窓って意外と大事なんだ」とか
「長く快適に過ごすにはどんなことが必要?」とか
何か考えるきっかけになれば
と願っています。
住まう人みんなが快適で安全で
長く幸せに暮らせますように。