MS家に2つの新しいアートがやってきた。
一つは市原淳さんのポスター
市原さんは嫁氏が好きな椅子のイラスト
をたくさん描かれる方。
↓市原さんについてはこちらから
ちょっとサヴィニャックっぽい。
もう一つはバウハウスのポスター。
これについてはこちらでお話を↓
せっかくなので
引っ越し後のMS家を妄想し仮住まいを飾ろう。
リビングはこうなる。
バリバリミッドセンチュリー
=略してバリミ感が増してええなぁ。
※追記:ちなみに実際はこうなった↓
この犬のポスターに描かれた椅子は
イームズさんに似ているけど違う子。
前から見るとこんな感じ。
(台湾旅行にて)
名前はチューリップチェア。
今回はこれを作った人のお話をしながら
多いことと少ないことについて考えてみよう。
エーロ・サーリネン。
「あれ、エーロってどっかで…」
と思ったそこのアナタ。
嫁氏と一緒の椅子オタクかも。
ちなみに別のエーロさんはこちら↓
名前は似ているけど別の人。
サーリネンはフィンランド生まれの
アメリカ人。
家具デザイナーで建築家。
お父さんは有名な建築家
エリエル・サーリネン。
あ、ティッシュのことじゃないですよ。
アールニオおじいさんと混同するから
MS家では親しみを込めサーリーと呼ぼう。
サーリーはイームズさんとも仲良しだった。
ミュージック・フォー・フィルムズ・オブ・チャールズ&レイ・イームズ
オーガニックチェアは二人が
MoMAのコンペに一緒に出したもの。
他にも色々デザイン。
チューリップテーブル
「ウーム=子宮」という意味の
びっくりネーミングなウームチェア
サーリーの家具の多くは
Knoll(ノル、ノール)という会社が製造販売。
日本では現在成田空港でも見られる↓
Knollはベルトイヤのおっさんもいたところ。
建築家としては
ケネディ空港TWAターミナルなどで有名。
映画『MIB』のような
スペースエイジ感ある建物内部↓
サーリーの家具は曲線や色合いが
ポップでユーモラス。
彼の考えやデザインを見ると
便利さについて考えさせられる。
サーリーは人や建物が調和する空間を
作ろうとする人だった。
サーリーのものづくりの考え方は
お父さんの影響。
''Always design a thing by considering
it in its next larger context
– a chair in a room, a room in a house,
a house in an environment, an environment in a city plan.''
「何かをデザインする時には
つねにより大きな状況を考えるようにするんだ。
部屋の中での椅子、家の中での部屋、
環境の中での家、都市計画の中での環境
といった具合にね。-サーリーパパ」
(引用・訳 嫁)
その考え方をサーリーも受け継ぎ、
できたのがチューリップチェア。
サーリーはこんなことを言っている。
"The undercarriage of chairs and tables
in a typical interior makes an ugly,
confusing, unrestful world.
I wanted to clear up the slum of legs. "
よくあるインテイリアの椅子やテーブルの
脚こ・そ・が、醜い、落ち着かない、
人を混乱されるような世界にしているんだよ。
ぼかぁねー
そーゆースラムみたいな脚の群れを
綺麗にしたいんだ!
(引用・訳 嫁)
この思いで一本脚のチューリップチェア誕生。
ただ脚と座面は別々のパーツ。
脚はアルミニウム
シートはヴィンテージイームズと同じFRP製。
本当は全て一体型の椅子を
作りたかったそう。
一体型の椅子パントンチェアのように。
残念ながら51歳で亡くなるまで
それは残念ながら叶わず。
でもこの椅子は
1本脚の椅子で
量産されたものでは業界初。
すっきりとしたお部屋の空間を作れるから
今でも世界中で愛されている。
あ、うちの賃貸ダイニングの脚
スラムだ。サーリーごめんよ。
サーリーの考え方やデザインを見ていると
「本当にみんなが心地よい家や社会って
なんだろう?」と考える。
前に書いたように何が必要かの基準は
ライフスタイルに合わせて様々。
それとは別に
「子供からお年寄りみんなにとって
本当の便利って何だろう」という疑問。
製品の中には便利にするために
一つのものに多くの機能つけたものがある。
例えばテレビやモニターのリモコン。
リモコンに恨みなない。
でも子供からお年寄りまで
みんなが本当に使いやすいものを考えてみよう。
つまりユニバーサルデザイン。
本当にこんなにボタンはいるのかな。
中には一生使わないボタンもある。
パソコンの機能しかり、スマホしかり。
それが心地よい暮らしの邪魔をして
スラムを作ってはいやしないかな?
それから「のぼり」
MS家の住んでいる地域だけもしれないけど
「のぼり」って多すぎない?
ひどいとこだと
通り全部がのぼりまみれ。
のぼりって経済的には
一定の効果はあると思う。
こんなふうに「ラーメン!」「ラーメン!」
って主張されたら麺好きそしては大興奮。
喜んでラーメン屋さんのカモになる。
でもこんなにたくさんは必要だろうか?
のぼりそのものは効果のあるもので
のぼりに罪はない。
昔の日本の風景などで
「一つだけあるのぼり」は素敵だと思う。
でも一つの場所に何十本ものぼりを建てて
意味があるのか不思議。
のぼりは悪くないけど
のぼりをむやみやたら建てまくる
人の感覚に疑問を感じる。
リモコンのボタンと同じでたくさんありすぎて
なんだかわからなくなっている気がする。
気にしなければいいといえばそれまで。
でもせっかく味がある喫茶店でも
店一周ぐるりと
「モーニング!」
「モーニング!」
「モーニング」
「モー…」
もういいよ…
わかった!!
って気分になる。
「美しいデザインってなんだろう」
「みんなにとって機能的ってなんだろう」
「快適で美しい空間ってなんだろう」
このユーモラスな絵を見ると
そんなことを考えてしまいます。