夫氏「嫁氏はオーストラリアでは
どんな暮らししてたの?」
じゃあ今日はそれを話そう。
オーストラリアの暮らしから
日本の暮らしを考えてみるよ。
(シドニーのアパートの裏庭)
嫁氏は10年ほど前シドニーへ行きました。
目的は「現地の企業で
働く経験をすること」!
ロースクール目指して法学部で
勉強していた嫁はあきらめたのだ!
夫氏「なんで?」
リスク高いから!
当初、ロースクール卒業者は半分以上
新司法試験に合格させると
言われていた法曹改革。
蓋を開けたら合格者わずか!
しかもロースクール卒業者は
3回以内に合格しないと受験資格がなくなる!
馬鹿高い奨学金を組んでやるには
アホな嫁氏にとってはちょいリスキー…
と踏んですっぱりあきらめましたとさ。
そのとき塾講師してて
教育に興味あったから先生になるぞ!
とシドニーへ。
夫氏「なんでシドニー?なんで海外?」
英語の教員になりたかったけど法学部卒だったし
留学するお金なんてなかったから
じゃあ働く経験したい!と思って行ったのだよ。
いわゆるワーホリビザってやつ。
ワーホリビザでは
働いてもいいし、遊んでもいいし、
語学学校に行ってもいいよというビザ。
しかーし、嫁氏の目標はただ一つ!
「現地の企業で働くこと!」
(中心街のショッピングモール)
現地の企業で働くことで
ビジネス英語力もつくし
考え方も学べるし
海外ではどんな働き方をして暮らしているのか
自分自身で体験して知りたかったのだ!
(街の中心地、シティホール)
いきなり仕事を見つけるのは
なんだから最初はホームスティしながら
友達作りに語学学校へ。
(学校の裏にあるビーチ)
勉強した後は毎週末ビーチでBBQ!
楽しかったなぁ。
(横で結婚式やってました)
ただ、嫁氏の目標はただ一つ!
「現地の企業で働くこと」!
だから仕事探しもガンガンやった!
(街中には近代的な建物も)
仕事はたくさんあった。
でもワーホリ向けの仕事って
「日本人相手のおみやげやさん」
「日本食レストラン」
が圧倒的に多い。
あるときカフェのPCで
仕事探ししていていると
隣に座った日本人のにいちゃんが
話しかけてきた。
「ねえちゃん、仕事探してるの?
だったら日本人がいないところがいい。
ただここにいたいだけなら別だけど…
英語使ったり現地の人と関わりたいなら
いわゆる『ワーホリ向け仕事』はやめときな。
俺はワーホリできて今延長で2年目だけど
英語使わないから全くしゃべれないんだよ…」
(ワイン用の畑)
そう、海外に行ったからといって
英語がしゃべれるわけじゃない!
自分でしゃべる環境を作らないと
日本にいるのと変わらないのだ!
(夏になるとバスの運転手さんはサンタになる!)
だが仕事を探すもなかなかない…
食いつなぐために、
単発で日本人経営のビデオショップとか
レストランの給仕やったけど
やっぱり英語はあんまり使わない。
(ビーチの近くにはお土産屋さんが多い)
これじゃ日本と変わらない!
お金もそこをついてきたし
帰ろうか…
とおもったそのとき、
応募していた現地企業から連絡が来て採用!!!
救いの神はいたのだ!
(流行っていたアパレルブランド。落ち込んだら見て笑う救いの神)
仕事はヘッドオフィスの情報管理。
日本人スタッフもいたが
ほとんどは現地のスタッフ。
しかもポジション的には
契約社員のような形!
時給は20ドル以上。
オーストラリアの当時の
最低賃金14ドルを考えるとすごいことだ!
嫁氏の時代が到来した
瞬間であった…
やったね!
(映画『オーストラリア』のプレミア。生のニコール・キッドマンは美しい…)
日本といろんな違いがあった。
ただ、ここに書くのはあくまで
「嫁氏が働いた会社」で
だから全ての企業がこうとは限らない。
(シドニースターウオーズ展)
①オンとオフをくっきりわける
会社ではみんな定時帰宅。
少しでも時間を超えたら
「早く帰れ」と急かされた。
時給だったということもあるけど
他のスタッフもそんな感じ。
むしろ残ってやる人は
「仕事が遅い」「できない」とみなされる。
(会社帰り。明るいうちに帰れます…)
金曜日の5時ぐらいになると
エレベータへの徒競走が行われていた。
ゆるい。
②割と自由
これは嫁氏の会社だけかもしれないけど
音楽を聞きながら仕事する人が割といた。
他の部署にヘルプで入った時も
個装作業を真剣にやっていたら
「そんなふうにやってたら退屈でしょ?
iPod持ってないの?」
むしろ勧められた。
周りを見渡すと
50過ぎのおいちゃんがノリノリで
荷物を詰めていた…
あと、ある日同じ部署のジョー(仮名)
が会社にこないことがあった。
みんな心配しているとジョーはランチ前に出社!
ジョー「寝違えて首痛いんだよね…」
みんな「お前さんまた飲みすぎて
道で倒れてるんじゃないかと思ったぜ!HAHA」
ゆるい。
③転職はステップアップ
嫁氏が働いている時も転職するスタッフも。
お祝いパーティまでやっていた!
「次頑張れよ、裏切り者!笑」パーティで
盛大に送り出すのだ。
(パーティでは料理がやまもり…こぼれてるし…)
また、オーストラリアでは
企業に履歴書を出す時「推薦状」
を求められることが多い。
今働いている会社の上司に
「こいつはすげーやつだぜ」
と書いてもらわなきゃいけない。
(こいつぁーすげー崖だった!)
つまり、転職はステップアップの一つで、
息をするように当たり前のことのように感じた。
(道端では当たり前のようにカートが置きっ放し。家の裏)
先のスタッフは転職してからも
前の職場に気軽に遊びに来て
ランチに会社の
電子レンジを使っていた。
理由を聞いたら、
「今の職場の電子レンジが
壊れているんだよね」と。
ゆるい。
こんな感じで月曜〜金曜まで働き、
仕事の後はビーチや近所を散歩。
週末はビーチでBBQ、
土曜日は家飲みかバーでパーティ。
(酔って取ったらセブンチェアもどきが映ってた…)
たまに野外イベント。
新年のカウントダウンは大盛り上がり!
↓クリックで再生。音量注意!!
そんなゆるゆるな生活だった。
時間がゆっくり流れていた。
日本に帰ってくると
時間の流れ方が早すぎるとまで思った。
特に教員を始めてから
やめるまで毎日があっという間だった。
(中学生向けのオープンスクール授業)
嫁は日本が好きだ。
だから戻ってきた。
でも、ちょっと力を
抜いてもいいんじゃないかと思う。
(いや、これは力抜き過ぎ…)
シドニーでは
「仕事が一番」ではなかった。
仕事は日々の生活を送るため
週末家族や友達と過ごすための手段。
もちろん、オーストラリアの
働き方を全面肯定するわけでない。
失業率は約5%と日本より高い。
ホームレスも日本よりたくさん見かけた。
それでも、もうちょっと力を抜いて、
もっと家族や大事な人と
過ごす時間があってもいいのではと思う。
(最初のステイ先)
もちろん、お金がいっぱい欲しい人も中にはいる。
価値観はみんな違う。
それにお金もある程度大事。
MS家だってローンを
早く返せたらどんなにいいか…
肉が食べれたらどんなにいいか…
ラム肉うまかったなぁ…
だけど、個人的には
お金がたくさんあっても
家族や大事な人と過ごす時間は
帰ってこないと思うのだ。
働き方を変えていこうとするなら、
「プレミアムフライデー」
のような経済活性化のための政策でなく
「家族の元へ早く
帰れるような働き方」
「もっと自分の時間を
大事にできる働き方」
そういう暮らし中心の働き方
を考えていくほうがいいのではないか。
あの場所で過ごしたゆっくりと
流れる時間を思い出しながら
そんなことを考えます。