次のミニチュアづくり
「つくってあそぼ」は何にしようかな。
これとかどう?
イームズのLTR(=Low Tablr Rod)!
ワクワク「これって日本の宴会とかにある御膳?」
似てるよね。
イームズさんのお友達イサム・ノグチさんがきたとき
チャップリンも招いてこれでお茶会したらしいよ!
ワクワク「イサム・ノグチさんって
確か前も出てきたよね。
ネルソンおじさんの飲み友達だったとか
剣持勇とイームズさんを引き合わせたとか。
ずいぶん社交的な人だったのカナ☆」
とは限らないんだな。
彼はとても孤独な人だった…
今日は日本とアメリカの間で生きた
イサム・ノグチのお話!
イサム・ノグチは彫刻家で家具デザイナー。
おとんは日本人、ママんはアメリカ人。
日本とアメリカを行き来しながら過ごしたんだ。
家具好きにはこんなのが有名。
ガラスを置くだけのコーヒーテーブル
和紙と竹でできた美しき照明『AKARI』
ワクワク「あれ!これうちにあるのと似てるね☆?」
あ、うちのはIKEAだよ。
残念ながら全然形違うよ。
これ好きだけどね。
でもこれを見るとノグチさんを感じるから
親しみをこめて「ノグッティー」と呼ぶ!
ノグッティーは『彫刻家』でもある。
↓こちらでも作品が観れます
ワクワク「なんか素朴で自然なものを感じるね☆」
ノグッティーは二つの国で葛藤しながら
石と自然を愛したアーティストだった。
※以下引用・訳は嫁(引用元は記事下)
①生涯自分探し
“With my double nationality
and double upbringing,
where was my home?
Where my affections?
Where my identity?
Japan or America, both—or the world?”
「二つの国籍、2つの国で育ったボク…
ボクの故郷はどこ?
ボクはどっちを愛せばいいの?
アイデンティティはどっち?
日本なの?アメリカなの?
それともどちらも?それとも世界中なのかな?」
ノグッティーは孤独な少年。
LAで生まれパパは日本に帰り
日本に行ったらハーフだと揶揄される。
大きくなったノグッティーは
アメリカやパリの学校へ。
そこでは
「YOUはミケランジェロの再来だ!」
と超絶賞賛!!
でも、日本にいればアメリカ人、
アメリカにいれば日本人扱い…
だから作品を売ったお金で自分探しの旅へ。
西洋やアジア諸国を巡って考えた。
「自分は何者なのか…?」
でも最後はこんな結論にいたった。
“It’s only in art
that it was ever possible for me
to find any identity at all.”
「ボクがこれまでアイデンティティを
見つけられたのはアートの中だけだ」
つまり、アート、彫刻はノグッティーそのもの。
②自然と調和する日本の美
孤独ながらもノグッティーは
前向きに学ぶことを忘れない。
''I am always learning,
always discovering.''
「ボクはいっつも学んでいるし、
いっつも何か発見してるんだよ」
イームズやネルソンからインスピレーションを得て
戦後は「世界のタンゲ」こと丹下健三ともお友達に。
日本の美について語れる仲間ができこう考えた。
''The art of stone in a Japanese garden
「日本庭園の中にある石って配置の芸術だよね。
だってさその理想的な姿といったら
自然から逸脱していないもの」
作品も日本的になり「AKARI」が誕生。
(庭園美術館の旅より)
名前は漢字が由来。
「明」は「日」と「月」でできているから。
'’The light of Akari is like the light of the sun
filtered through the paper of shoji.
The harshness of electricity is thus
transformed through the magic of paper back
to the light of our origin-the sun.
「AKARIの光は障子を通して見た太陽の光みたいだろ。
荒々しい電気の光がこんなふうに紙の魔法によって
ボクらの源である太陽の光へと変わるんだよ」
彼にとってAKARIは光の彫刻。
「照明」も彫刻なのだ。
ノグッティーの作品は
「自然を取り入れた彫刻」として
評価されていく。
彼はこう思うようになった。
「もっと彫刻が役にたったら…」
「なんなら大地を彫刻してやろうか!?」
やっちゃうんですねー。
’’Art should become as one
with its surroundings.’’
「アートってさ周りの環境と
とけあうものじゃなきゃいけないよね」
展示サイズからだんだん庭園制作など
空間彫刻の仕事が増えたノグッティー。
(庭園美術館の旅より)
晩年超巨大彫刻のプロジェクトへ…
札幌のモエレ沼公園だ!
これは大地を超えた全てがアートだ。
遊具も、木も、そこで遊ぶ子供も。
元々この公園は建設が既に始まっていて
内部はゴミの埋立地。
ノグッティーはこう考えた
「人が傷つけた土地をアートで再生する!」
そこで「公園が一つの彫刻」となるプロジェクトへ。
環境や景観と調和する公園を目指すことに。
残念ながら完成前にノグッティーは天国へ。
最後に「大地、いや全てを彫刻する」
という最終形態まで到達。
''Everything is sculpture.''
「全てが彫刻だ!」
自然を大事にする日本の美を愛し
自らの葛藤を抱えながらも
彫刻の中に自分を見出していった
ノグッティー。
作品の海外レビューを読むと
「彼の作品はか・ん・ぺ・き」
と書かれているのを見かける。
でも彼は作品を完璧を思っていない。
''Don't try to make it perfect.
Imperfection is what's important.
Anybody said...,
but i think imperfection is
better than perfection!''
「完璧にしようとしちゃいけない。
完璧じゃないことが大事なんだ。
誰かが「完璧!」って言ったけどさ…
でもボクは不完全なことが
完璧より面白いって思うんだよね。」
自然は移り変わるもの。完璧じゃない。
だから面白い。
ノグッティーが自然に惹かれたのも
そんな自然の無常さ、不完全さ
が面白いからかもしれない。
人間もそう。
人間の作るもの、書くものもそう。
だから面白い。