♪ある日(ある日)
♪MS家(MS家)
♪お手紙が(お手紙が)
♪届いたよ(届いたよ)
♪ルームクリップかーらの
嬉しいプレゼント〜
わーい!
先日お部屋の事例サイト、ルームクリップの
イベントで「レトロ賞」をいただいたと書きましたが
その賞品をいただきました!
ルームクリップステッカーと
¥3.000の楽天カード!!
本当に有難い!!
椅子たちよ、全員集合!!
シュババババ!!
あれ、あと9人足りないぞ!
セブンチェアやパントンチェアはどこ行った?!
イームズ ハルク
「隊長!他のモノは引越しの荷物に
埋もれて出てこれないようであります!」
し、仕方ない!!
じゃあ、9人で感謝の意を込めて撮影だ!
せーの、はいイース!!
みんな「ありがとうございます!」
ベア「姐さん、本当にありがたいですな。
我が椅子たちが褒められて」
まさに感無量!
そういえば、
インスタグラムやルームクリップなど
写真中心のSNSが浸透して気づいたことがある。
それは「変な謙遜」が少ないこと。
変な謙遜とは勝手に嫁が考えたことだけど
褒められたことに対して
「そんなことないです!」
と相手の褒めを否定すること。
これは個人の雑感に過ぎないけれど
嫁だけかもしれないけど
「いいね」という褒めからの
即「ありがとう」
が増えている気がする。
そんな日常の気づいたことのお話。
昔は人の家に行き、
「ステキだね!」なんて褒めると
「全然だよ〜!
ここも直したいし、あっちも」
なんて聞いてもいないのに
デメリットを言われた。
でも今は「綺麗な絵ですね」なんて褒めると、
まずは皆さん「ありがとうございます」
なのだ(あくまで嫁氏の周り)。
もちろん、いいことばかりではない。
「インスタ映え」を気にするあまり、
食べ物を撮影して即廃棄する問題や
副業詐欺なんて問題も引き起こしている。
でも「褒め」を否定せずに受け入れる風潮が
できているとすると
それは望ましいことでもあると感じる。
嫁氏は昔から「変な謙遜」が苦手。
母が時間をかけて丁寧に選んだプレゼントを
「つまらないものですが…」と渡す…
なぜ?!
母さん、一生懸命選んでたでしょ!
母がAくんのお母さんに
「Aくんは絵がうまいわね」
と褒めるとA母さんは
「あらやだ、まだお兄ちゃんよりは
下手なのよ〜」と…
なぜ?!
A母さん、Aくん漫画家になりたくて
休み時間にも練習してるんだよ!
下手とか言わないでよ!
とか…
とにかく子供の頃から違和感があった。
(嫁氏がレアなのは自覚している)
だけどそんな中で父だけは違った。
「褒め」を受け入れるのだ。
例えば職場の人と街でばったり会ったとき
「娘さんは高校でがんばってるらしいですね」
なんて褒められると
もう止まらない!
父「娘は高校で生徒会長やっててね、
この前英語の弁論大会で賞をとったし、
成績もトップなんですよ!ハハハ!!」
父さん、それちょっと違う!
成績は一番じゃないから!!
と、あることないこと
娘を自慢しまくるのだ。
さすがにこれはあることないことのうち
ないことも含まれているので
恥ずかしくなった…
またあるとき洋楽大好きな父に
レディガガの輸入CDをプレゼント
(ガガ様が日本盤CDを出す前)。
嬉しくなった父は
職場(警察署)でレディガガを流し
「これ娘がくれたんだよ!」と自慢。
同僚が「いい曲ですね」と褒めると
父「娘は音楽の趣味がいいんだ」
と自慢したらしい…
父さん
趣味がいいのはガガ様だから!
っていうか
警察署でガガ流すなよ!
ただ、嫁氏は父の「変な謙遜」がない
いいことはいい
という姿勢が好きだ。
そして夫氏も「変な謙遜」がない。
どうやら職場で嫁氏を褒めているらしく
職場の人に会うと
「mashleyちゃん(本当は本名で)って
家で美味しいごはんつくるんだってね!」
と褒められる。
しかも、「mashleyちゃん」って…
嬉しいじゃないか、このやろう!
このように周りに
「変な謙遜」を持つ人が少ないせいか
嫁氏は椅子とか椅子とか椅子とか家が
褒められるとまずこう言う。
「ありがとうございます!」
で、「これはですね…」と
椅子や家のよさを述べるのだ。
謙虚な心は時に大事だ。
でも「褒めをわざわざ否定」することは
謙虚とは違うんじゃないかと思う。
嫁氏は椅子たちを褒められ
ありがとうと「褒めの受け入れ」
をすることで自分自身もさらに
ポジティブになれる気がする。
だから誰かのよいところを見つけ
思いっきり褒める姿勢は
忘れずにいたい。
ただ、最近誰かさんから
苦情が入った…
どうやらブログでは「夫氏に感謝!」
と散々褒めまくるのに
実生活では本人より
椅子ばかり褒める
不届き者がいるらしい…
誰だよ?!
ごめん、嫁氏だ。反省。
今から夫氏を全力で
褒めてきます。