北欧ミッドセンチュリーの家づくり

家具コンシェルジュ嫁氏の暮らしインテリア話

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いいものを取り入れて発展させるジャパニーズモダンの父・剣持勇

作り込まれたヤクルトの容器

 久しぶりにヤクルトを買いました。 

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MS家はヤクルトってなかなか買いません。

 

オーストラリアにいたときは

1パック1000円ぐらいの超高級品。

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↓オーストラリアの生活話 


手が届かないと思うほど

欲しくなるのが人の常。

 

帰国したら恋しくなったけど

「手が届く」と思ったら

買わないものですね。

 

ヤクルトの容器は面白い形。

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デザインのイメージは「こけし」。

「軽い」

「すぐに割れない」

「低コストで量産できる」

というメリットがあり。

 

実はMS家の中古の

天童木工コーヒーテーブル

同じ人がデザイン。

 

天童木工/剣持勇Haco/テーブル

 

今日はこれらをデザインした

おじちゃんのお話。

 

 

 

 

実はあれもこれもデザイン

 おじちゃんの名前は剣持勇。

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勝手に親しみを込めて「剣持警部」と呼ぼう。

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剣持警部は戦後の日本の

インテリアデザインの牽引者。

 

お役人を経て

柳宗理らと「グッドデザイン運動」を行う。

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代表的なものはこんな感じ。

 

ラタンチェア

 

剣持勇ラウンジチェアアームレスチェアC-3160

 

ラタンをバーナーで熱しながらカーブを作り

編み編みはすべて職人の手作業。

 

スタッキングスツール 

 

 スツール202[PVC張り・ブナ材]

 

彼は空間をデザインしつつ

量産化してみんなに使ってもらおう

と考えていた。

 

スタッキングツールは重ねられるから

狭い空間を上手に活用できる

 

柳宗理のようにカトラリーもデザイン。

 

剣持勇 #1300 笹型カトラリー ヒメフォーク ミラー 

 

剣持勇 #1300 笹型カトラリー デザートナイフ 

 

あとダスキンのモップのトップ部分も。


面白いのがこの椅子さんたち。

 

 

チェア(Chair) S-5007AA-AA グレードA 1961年 

 

 

チェア(Chair) S-3048MP-NT 1961年 天童木工

 

なんだかいろんなものを彷彿とさせる。 

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 (ヤコブセンのグランプリチェア香川CONNECTさんにて)

 

それもそのはず。

 

剣持警部は他者から学んだことを取り入れ

発展させる日本のものづくりの気質そのもの。

 

素材やデザインをあの国やあの人から学び

伝統と新しさの狭間で戦って

日本の「モダン」を作り続けたファイターだった。

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他の人から学ぶ

 剣持警部は実は嫁氏と同じ

イームズファン。

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こちらをご覧ください。

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イームズさん夫妻と警部の最高のショット。

 

剣持警部は1952年アメリカに出張。

 

実はイサム・ノグチさんとも仲良し。

彼の紹介状でイームズ夫妻と交流。

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↓イサム・ノグチについて 


 警部はこう言っている

イームズは本当のアメリカ人だ。

アメリカ人としての土の匂いを

しっかり残している

(『一脚の椅子・その背景』より引用)

 

 つまりイームズは

U・S・Aという国が象徴するように 

開拓者精神で新しい素材に挑戦し量産し

デザインや人の暮らしを変えたということ。

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 当時の日本は戦後間もない時期。

 

元敵に対しても日本のデザインのために学ぶ姿勢

警部のデザインへの情熱とひたむきさを感じる。

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(『一脚の椅子・その背景』より)

 

ちなみにイームズと仲良くなった警部は

真似て蝶ネクタイをつけたらしい。

 

おちゃめ。嫁氏もやってみようかな。

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その後多くの巨匠と交流。

 

バルセロナチェアで有名な

ミース・ファンデルローエ。

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チェスカチェアでも知られる

マルセル・ブロイヤー。

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トーネット チェスカチェア

 

帰国して日本のモダンデザインのために

ジャパニーズ・モダンの活動を行う。

 

でも

「このアメリカかぶれ!」

「あんたの言うジャパニーズモダンは迎合!」

などと痛烈に批判される。

 

だけど彼の目指すジャパニーズモダンとは

「かぶれ」や「迎合」ではなかった。

 

日本に合わせて発展させる

海外に住んでいる時

こんなブラックジョークを聞いた。

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(オーストラリアのボンダイビーチ)

 

「ドイツ人が発明し

アメリカ人が製品化

イギリス人が投資し

フランス人がブランド化

日本人が小型化もしくは

高性能化に成功したら

中国人がその海賊版を作る。」

 

最後の部分は特定の国に限らず

他国でもやる人はいるので賛否両論あり…

 

ただこれは日本のものづくりの

姿勢が表れているのではと思う。

 

剣持警部の目指すジャパニーズモダンはこれ。

他者から良い点を取り入れつつ

日本の細やかさや造形感覚を現代に生かす

日本にしかできない日本独自のものを作り出す

 

そして生まれたのがラタンのラウンジチェア。

 

Y・M・K (ワイ・エム・ケー)YMK (ワイエムケ—)剣持勇

 

ホテルニュージャパンのためにデザインされた椅子。

Hotel-New-Japan (1993).jpg
パブリック・ドメイン, Link

ホテルニュージャパン - Wikipedia

 

ホテルは世界中の人がくる。

ならその国の特徴を伝えるような

素材とデザインにしよう。

という目的で作られた。

 

海外で学んだ考え方を取り入れつつ

日本の技術と素材の良さを生かして

アツイ思いで作られたチェア。

 

1964年にMoMAのコレクションの仲間入り。


柳宗理のバタフライスツールに続いたのだ。

 

批判と戦い続けた剣持警部は

徐々に評価されたくさんの仕事が舞い込む。

 

彼はジャパニーズモダンを作ると同時に

日本のインテリアデザイナーの

地位確立のため身を粉にして働いた。

 

仕事を断らず小さな仕事から大きな仕事まで。

 

京王プラザホテルの総括指揮官まで。

900以上の客を持つ超高層ホテルだ。


そしてオープニングの日に自ら命を絶つ。

 

鬱だったという話もあるが

詳しいことはわからない。

59歳はあまりにも早い…

 

日本のものづくり精神を残したい

その短い生涯の間に彼のデザインへの取り組みは

日本のデザインの素晴らしさや

ものづくりへの姿勢を世界へと広めた。

 

ジャパニーズモダンの父の一人。

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 (『一脚の椅子・その背景』より)

 

最近「メイドインジャパン」

信頼が失われつつあるとの声も耳にする。

 

そして「日本 デザイン」と入れると

勝手に出てくる「ダサい」の文字…

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そんなことはないはず。

 

確かに日本製のリモコンはボタンが多すぎる。

もっと皆が使いやすい素敵デザインであるべきと思う。

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でも現代の日本にも

素晴らしいデザインがたくさん

 

秀逸なデザインのゴミ箱ideacoもある。

 

ファブリックのミナペルホネンは

北欧家具にぴったりで他国でも人気。f:id:mashley_slt:20180111200619j:image

 

 

それらには「よいものを取り入れて発展させる」

日本の誇るべき精神がある。

アルテック / スツール 60 3本脚 ミナ ペルホネン

 

剣持警部のジャパニーズモダンに込められた思いが

絶やされることなく暮らしをステキにしてくれたらいいな。 f:id:mashley_slt:20180919215148j:plain

 

ヤクルトを飲みながら考えました。うまい。 f:id:mashley_slt:20180919215235j:plain 

警部に敬礼!f:id:mashley_slt:20180111193730j:image