久しぶりにヤクルトを買いました。
MS家はヤクルトってなかなか買いません。
オーストラリアにいたときは
1パック1000円ぐらいの超高級品。
↓オーストラリアの生活話
手が届かないと思うほど
欲しくなるのが人の常。
帰国したら恋しくなったけど
「手が届く」と思ったら
買わないものですね。
ヤクルトの容器は面白い形。
デザインのイメージは「こけし」。
「軽い」
「すぐに割れない」
「低コストで量産できる」
というメリットがあり。
実はMS家の中古の
天童木工コーヒーテーブルと
同じ人がデザイン。
今日はこれらをデザインした
おじちゃんのお話。
おじちゃんの名前は剣持勇。
勝手に親しみを込めて「剣持警部」と呼ぼう。
剣持警部は戦後の日本の
インテリアデザインの牽引者。
お役人を経て
柳宗理らと「グッドデザイン運動」を行う。
代表的なものはこんな感じ。
ラタンチェア
ラタンをバーナーで熱しながらカーブを作り
編み編みはすべて職人の手作業。
スタッキングスツール
彼は空間をデザインしつつ
量産化してみんなに使ってもらおう
と考えていた。
スタッキングツールは重ねられるから
狭い空間を上手に活用できる。
柳宗理のようにカトラリーもデザイン。
あとダスキンのモップのトップ部分も。
面白いのがこの椅子さんたち。
チェア(Chair) S-5007AA-AA グレードA 1961年
チェア(Chair) S-3048MP-NT 1961年 天童木工
なんだかいろんなものを彷彿とさせる。
(ヤコブセンのグランプリチェア香川CONNECTさんにて)
それもそのはず。
剣持警部は他者から学んだことを取り入れ
発展させる日本のものづくりの気質そのもの。
素材やデザインをあの国やあの人から学び
伝統と新しさの狭間で戦って
日本の「モダン」を作り続けたファイターだった。
剣持警部は実は嫁氏と同じ
イームズファン。
こちらをご覧ください。
イームズさん夫妻と警部の最高のショット。
剣持警部は1952年アメリカに出張。
実はイサム・ノグチさんとも仲良し。
彼の紹介状でイームズ夫妻と交流。
↓イサム・ノグチについて
警部はこう言っている
「イームズは本当のアメリカ人だ。
アメリカ人としての土の匂いを
しっかり残している」
(『一脚の椅子・その背景』より引用)
つまりイームズは
U・S・Aという国が象徴するように
開拓者精神で新しい素材に挑戦し量産し
デザインや人の暮らしを変えたということ。
当時の日本は戦後間もない時期。
元敵に対しても日本のデザインのために学ぶ姿勢は
警部のデザインへの情熱とひたむきさを感じる。
(『一脚の椅子・その背景』より)
ちなみにイームズと仲良くなった警部は
真似て蝶ネクタイをつけたらしい。
おちゃめ。嫁氏もやってみようかな。
その後多くの巨匠と交流。
バルセロナチェアで有名な
ミース・ファンデルローエ。
チェスカチェアでも知られる
マルセル・ブロイヤー。
帰国して日本のモダンデザインのために
ジャパニーズ・モダンの活動を行う。
でも
「このアメリカかぶれ!」
「あんたの言うジャパニーズモダンは迎合!」
などと痛烈に批判される。
だけど彼の目指すジャパニーズモダンとは
「かぶれ」や「迎合」ではなかった。
海外に住んでいる時
こんなブラックジョークを聞いた。
(オーストラリアのボンダイビーチ)
「ドイツ人が発明し
アメリカ人が製品化
イギリス人が投資し
フランス人がブランド化
日本人が小型化もしくは
高性能化に
中国人がその海賊版を作る。」
最後の部分は特定の国に限らず
他国でもやる人はいるので賛否両論あり…
ただこれは日本のものづくりの
姿勢が表れているのではと思う。
剣持警部の目指すジャパニーズモダンはこれ。
他者から良い点を取り入れつつ
日本の細やかさや造形感覚を現代に生かす
→日本にしかできない日本独自のものを作り出す
そして生まれたのがラタンのラウンジチェア。
Y・M・K (ワイ・エム・ケー)YMK (ワイエムケ—)剣持勇
ホテルニュージャパンのためにデザインされた椅子。
パブリック・ドメイン, Link
「ホテルは世界中の人がくる。
ならその国の特徴を伝えるような
素材とデザインにしよう。」
という目的で作られた。
海外で学んだ考え方を取り入れつつ
日本の技術と素材の良さを生かして
アツイ思いで作られたチェア。
1964年にMoMAのコレクションの仲間入り。
柳宗理のバタフライスツールに続いたのだ。
批判と戦い続けた剣持警部は
徐々に評価されたくさんの仕事が舞い込む。
彼はジャパニーズモダンを作ると同時に
日本のインテリアデザイナーの
地位確立のため身を粉にして働いた。
仕事を断らず小さな仕事から大きな仕事まで。
京王プラザホテルの総括指揮官まで。
900以上の客を持つ超高層ホテルだ。
そしてオープニングの日に自ら命を絶つ。
鬱だったという話もあるが
詳しいことはわからない。
59歳はあまりにも早い…
その短い生涯の間に彼のデザインへの取り組みは
日本のデザインの素晴らしさや
ものづくりへの姿勢を世界へと広めた。
ジャパニーズモダンの父の一人。
(『一脚の椅子・その背景』より)
最近「メイドインジャパン」は
信頼が失われつつあるとの声も耳にする。
そして「日本 デザイン」と入れると
勝手に出てくる「ダサい」の文字…
そんなことはないはず。
確かに日本製のリモコンはボタンが多すぎる。
もっと皆が使いやすい素敵デザインであるべきと思う。
でも現代の日本にも
素晴らしいデザインがたくさん。
秀逸なデザインのゴミ箱ideacoもある。
ファブリックのミナペルホネンは
北欧家具にぴったりで他国でも人気。
それらには「よいものを取り入れて発展させる」
日本の誇るべき精神がある。
剣持警部のジャパニーズモダンに込められた思いが
絶やされることなく暮らしをステキにしてくれたらいいな。
ヤクルトを飲みながら考えました。うまい。
警部に敬礼!